自分の“好き”に振り回されすぎたので、一回引っ越しました #3 “がんばる”しかなかった私が、ようやく見つけた場所

  

止まるのが、なんだか怖かった

昔は、いわゆる“ちゃんとしている子”だった。

忘れ物もしないし、宿題もきちんと出す。でもそれは、得意だったからではない。

誰かに怒られたくなかったし、周りの期待に応えていたほうが安心だったから。

社会に出てからも「頑張れば認められる」という価値観の中で生きてきた。

任されて、感謝されて、必要とされる。その感覚が、自分の存在意義そのものになっていた。

「これが得意」と胸を張れるものがないことがずっとコンプレックスだったので、その分期待以上に応えることで、劣等感をカバーしようとしてきた気がする。

でもある日、ふと頭をよぎった。

「このまま誰かの期待に応え続けていたら、私はどこかで壊れてしまうかもしれない」

当時はその感覚を、わがままだと思って打ち消していた。

止まったら、価値がなくなるような気がして。

自転車置き場で見上げた、夜空のこと

たしか前職での接待帰りだった。

上司に同行して取引先を何件か回り、うまく笑い、場をつくり、関係構築はきっとうまくいったはずだった。

でも帰り道、駅前の自転車置き場で空を見上げた瞬間、胸の奥にぽっかり穴が空いた。

「私の価値って、なんだっけ」

誰に怒られたわけでもないし、それなりに評価もされていたと思う。

けれど、自分自身が“のっぺらぼう”のように感じてしまったのだ。

自分の居場所がほしくて、起業した

それから、自分らしくいられる場所をつくりたくて起業した。

ものづくりを通じて、得意なことが何にもないと思っていた私でも、これまで頑張って乗り越えてきた経験が誰かの役に立つ実感をようやく持てたことがただただ嬉しかった。

でも、仲間が増えて組織になっていくうちに、その場所は「守るべきもの」へと変わっていった。

誰かの役に立てるのが嬉しい――

その想いは変わらないけど、気がつけばまた「止まれない自分」に戻っていた。

“余裕”をなくしていった日々

スタッフもいるし、借り入れもある。関わってくれる人が増えるほど

「私が止まったら、みんなに迷惑がかかる」と思うようになっていた。

誰かの期待に応え続ける毎日は“好きなこと”のはずなのに、だんだんと心の余裕がなくなっていった。

誰かと話していても、どこかで仕事のことを考えている。

何をしていても、会話の中に仕事が混ざってしまう。

そんな自分に、ふと寂しさを感じることもあった。

身近な作家さんたちが、私の憧れになった

そんなとき、ふと目にとまったのが、関わっている作家さんたちの姿だった。

自分の得意なことをちゃんとわかっていて、無理せず、丁寧に作品をつくっている。

そのリズムがなんだかすごく自然で、まぶしかった。

私は、あんなふうに「これは自分の得意です」と言えない。むしろ、そう言える人たちを、ずっと尊敬してきた。

私はそんな人たちを支えることが好きになっていた。

言葉にすること、届けること、一緒に整えていくこと。「あなたの想いが、ちゃんと届きますように」と願いながら動くことが、私の得意なことかもしれないと思えるようになった。

“誰かの役に立ちたい”が、スタイルに変わった

以前の私は誰かの役に立ちたいという思いが、自分を追い込む原動力だった。

でも今はそれが少しずつ自分らしさに変わってきている。

作家さんたちと関わることで、無理をしなくても続けていける姿を、目の前で沢山見せてもらっているからだと思う。

裏方という言葉では足りないけど、その人の世界がちゃんと続いていくように並走することが、今の私には心地いい。

小さな優しさを持てる人でいたいと思って場所を変えた

今回の引っ越しは、余裕がない自分に気づいて、ようやくブレーキをかけた、そんな決断だった。

誰かと会ったときにちょっとしたお土産を持っていけるような、

「あの時こんなこと話したね」と覚えていられるような、そういう小さな優しさを持てる人でいたいと思った。

それは、作家さんたちがみんなそういう素敵な人たちだから。

そのためには、まず自分に余白が必要だった。

場所を変えたからといって急に何かが変わるわけではないけど、

少なくとも「私はこういう人でいたい」と言葉にできるようになってきたし、それを静かに選び直す勇気も、ようやく持てるようになった。

動き続けることでしか、安心できなかった頃の私。

でも今は、がんばらないことも自分の一部として受け止められるようになってきた。

時々人のために動きすぎてしまう、何かを始めてしまう自分も、全部含めて「これが私なんだ」と思えることが、少しずつ楽になってきた。

続けるために立ち止まる。

手放すことで、新しい景色が見える。

今回の引っ越しは、身近な人たちのお陰でそのことを少しずつ信じられるようになってきた。