自分の“好き”に振り回されすぎたので、一回引っ越しました #1 「いろいろ気になりすぎる“特性”と向き合う」


“好き”を仕事に。
たくさんの人が、自分の好きなことを大切にしながら生きていける社会になったら――
そう思い、私はこの10年、自分の想いを信じて駆け抜けてきた。

気づけば、自分の“好き”は
「誰かの“好き”を応援すること」そのものに変わっていた。

それも確かに“好き”なことに変わりはない。
でも、いつの間にか「応援し続ける自分でいなければ」と、どこか力が入りすぎていた。

誰かの夢や挑戦を全力で支える日々の中で、自分の心の声を聞かないようにして、どんどん小さくなっていくのを感じていた。

仕事は楽しいのに、心がついてこない。
充実しているのに、なぜか疲れている。

そんな私がようやく「自分の内側」と向き合おうと決めた。
これは、そのはじまりの話である。

事業はまだ続いているし、私自身も変わり続けている。正直、全部が整ってから書こうと思っていた。今も迷いがないわけではない。

でも、今だから書けることがある。
迷いながらも動いている自分を言葉にすることで、あのときちゃんと向き合っていたんだと、未来の私への手紙として残したい。

この文章が同じように揺れながら進んでいる誰かに届いたらうれしいし、何より、自分のためにここに残しておきたいと思う。

5年で2回の引っ越し

実は最近引っ越しをした。
私のことを知っている方は「また?」という反応だが、ここ5年で2回目の引っ越しになる。

今回引っ越しを決めた理由は、家族の環境の変化と私の“特性”への対応である。

自営業10年、ずっと「自由」ではなかった

会社を立ち上げて10年。
自営業は自由そうに見えるが、意外とそうでもなかった。

私はしばらく家のすぐそばに事務所を構えていた。(今も変わってはいない)

小さな子どもを子育てしながら起業するには便利だし、実家も近いので母の手を借りられる。やりたいことをすぐカタチにできる環境で、創業当初は本当にありがたかった。

一度気になると脳内が止まらないのに、思い出してすぐ忘れることもある

ただ、まぁ、とにかく気になるのである。
いろいろと。

「あれ、あの荷物届いていたっけ?」
「今日、SNS投稿してない!」
「あれとあれを組み合わせたらかわいい商品できるかも!」
「このままにしておいて大丈夫かな?」

朝起きてコーヒーを飲んでいても、寝る前も、ふと思い出してPCやスマホをチェック。

“やってないこと”“今ちょっとやれそうなこと”ばかりがずっと脳内で渋滞している。夜中に飛び起きて事務所に行ったことなんて何度あったことか。

一度気になったら頭の中で何度もリピートされるし、集中すると他のことが見えなくなる。なのに、ふと大事なことをすっぽり忘れていたりもする。

例えばレジで支払い中に「あ、郵便局行くの忘れた…」と突然思い出して、帰ってからまた違うことを始めて、またすっかり忘れる。
夜になってまた思い出して落ち込む、という日常。これはまだいい方の例えであるが。

さらに厄介なのは、家の中が散らかっていると、それだけでものすごくイライラしてしまうこと。やることが頭に浮かんでいるのに片づいていない空間にいると、頭の中がどんどんごちゃついていく感じがして思考が落ち着かず、まず自分なりに片付けが終わらないと次に進めないのである。
この感覚にちゃんと気づいたのは最近で、年を重ねるごとにその傾向が強まっている気がする。

特性と向き合い始める

「もしかして、私ちょっと“特性”があるのかも?」
そう思って向き合い始めたのがここ2年ほど。日常生活にそれほど支障はないが、過集中や忘れっぽいところがあり、一度も何事もなく家を出られたことはない。
仮に無事に外出できたとしても何かしら忘れ物をしていて、なんとか代替品で乗り切るか、忘れましたと正直に話してその場をしのぐか、そんな風に生きてきた節がある。

夫に聞けば「うん、わかってるよ」と呆気なく言われて肩の力が抜けたのと同時に、なんとなくグレーな自分と向き合わざるを得なくなった。

ずっと“性格のクセ”とか“気合不足”で片づけていたけど、たぶんそうじゃない何かがある。

でもきっとこれは私の場合、病院に行ったからといって解決するものではないと思っている。

「気にしなくて済む距離」に身を置きたい

そんな自分を受け入れたうえで、思い切って環境を変えてみたいと思い、不動産情報をちょくちょく見始めたのが1年ほど前。

仕事の距離が近すぎるならいっそ“気にしなくて済む距離”にすればいい。ただし、実家や事務所と離れ過ぎるのは避けたい。
それに娘の中学受験や朝が早い夫の仕事のことも考えると、もう少し学校や職場から通いやすい立地のほうが良いかもしれないと思うようになった。

不動産業の経験上そんな自分にとって好都合な場所はそうそう見つからないと思っていた。でも、こういう縁というのは突然現れるものだ。

段ボールタワーとトランクとピアノに囲まれた引っ越し前日

引っ越しの日は、娘のピアノの発表会と重なっていた。
発表は午後にしてもらい、夫が引っ越し屋さんと立ち会い、私と娘は実家に避難してピアノ発表会に向けて準備。

天井近くまで高く積みあがった段ボールの横に発表会のワンピースやお化粧道具、靴などを詰めたトランク。
今思い出しても笑えるくらいバタバタだったが、ある意味、象徴的な日だったかもしれない。

娘がステージでちゃんと最後まで弾ききった日に、私もこの日を境に“がんばる自分”に少し幕を下ろしてみた。

手を抜くことはサボることではない

私は手を抜くことがどうも苦手だ。どうしてもサボっているという感覚になってしまうから。

でも、今は少しだけわかる気がする。

私にとって手を抜くことはサボることではなく「がんばりすぎる自分にブレーキをかけること」かもしれない、ということだ。

自分の特性も、家族のリズムも、ちゃんと見つめ直す。

そんな暮らしを、私はようやく始めたばかりだ。